都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

TABICA 街歩きイベント 四谷・荒木町編のご案内

2018-01-17 | Weblog 

 12月に続き1月にもTABICAというサービスが開催する街歩きイベントを実施することになり、1月27日(土)に、四谷・荒木町界隈の階段を巡ることになりました。

 JR四ツ谷駅を出発し、前半は甲州街道南側の若葉・須賀町の階段や坂を巡り、後半は甲州街道北側の荒木町、四谷坂町、本塩町の階段や坂を歩き、JR四ツ谷駅に戻ります。江戸時代からの由緒ある坂や、有名になった階段、抜け道にある小さな階段や奇妙な形の階段など、多種多様な階段や坂を訪れ、あわせて江戸期からの街の移り変わりも見ていきます。

 御都合がよろしければ是非。

開催日 1月27日(土)
時間  13:00〜15:30(最大16:00)
経路等 JR四ツ谷駅→東福院坂→須賀神社男坂→戒行寺坂・闇坂
     →お岩稲荷→四谷消防署・消防博物館
     →旧セツ・モードセミナーわきの階段
     →荒木町の階段→四谷坂町・本塩町の坂と階段
     →JR四ツ谷駅

 階段で高台に上ったり谷地へ下りたりしながら約6km程度を歩いていきます。

 有料のツアーですが、御関心のある方は是非。
 詳細とお申し込みは下記を御覧下さいませ。

階段研究家といく「四谷・荒木町界隈の個性的な階段&坂めぐり」
須賀神社 男坂
#階段・坂 千代田区  #地形  #講座 
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TABICA 街歩きイベント 御茶ノ水・湯島編のご案内

2017-11-17 | Weblog 

 TABICAというサービスが開催する街歩きイベントで、12月16日(土)に、御茶ノ水・湯島界隈の階段を巡ることになりました。

 駿河台の男坂・女坂、湯島聖堂の階段、神田明神の男坂・新女坂、実盛坂、湯島天神の男坂と女坂、等々、著名な階段を歩いて、ついでに周辺の建物なども巡ります。

 御都合がよろしければ是非。

開催日 12月16日(土)
時間  13:00〜15:30(最大16:00)
経路等 JR御茶ノ水駅〜駿河台の男坂・女坂〜明治大学〜ニコライ堂
     〜幽霊坂〜mAAch ecute〜昌平坂〜湯島聖堂(聖堂内の階段)
     〜神田明神・明神男坂・新女坂〜清水坂〜立爪坂
     〜三組坂〜実盛坂〜湯島天満宮〜天神石坂・女坂
     〜東京メトロ千代田線 湯島駅

 階段で高台に上ったり谷地へ下りたりしながら約6km程度を歩いていきます。

 有料のツアーですが、御関心のある方は是非。
 詳細とお申し込みは下記を御覧下さいませ。

奥の深い階段と坂の世界。
階段研究家といく!御茶の水・湯島界隈の由緒ある階段&坂めぐり!
駿河台 女坂
所在地:千代田区猿楽町2-4と2-8の間
#階段・坂 千代田区  #地形  #講座 
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皇居乾通り一般公開

2014-07-09 | 千代田区 

 蔵出し写真、つづき。

 混雑するイベントにはあまり行かない方なのだが、ふだん入れない場所なのでつい・・・。 列の最後尾についてから入口の坂下門まで30分。乾門から出たのはその50分後だった。 面白かったが、常に渋滞していて、ほとんど人を見に行ったみたいな感じ。

皇居 坂下門前
所在地:千代田区千代田   Google Map
Photo 2014.4.7

 このあたりまでなら、ふだんでも近づける。天気もよかったので大混雑。みんなこういうの好きだなぁ、って私もか・・・。

 坂下門は江戸時代には枡形門で、現在の渡櫓門の位置に高麗門があり、それを入って左に曲がった場所にこの門があったのだそうだ。明治になって江戸城西の丸に皇居が移った際に、車の通行を考えて枡形が廃止され、1885(明治18)年に高麗門が撤去され、渡櫓門は1887(明治20)年に現在の位置に90°向きを変えて移築されたのだそうだ。

 移築されてはいても江戸時代の建物なのだが、もともとこれがいつ建てられたのかはネットの情報では分からず。

宮内庁庁舎
竣工年:1935(昭和10)年

 特段の申し込みをせずに近くで見ることができる機会は少ないので記念に一枚。

皇居乾通り

 宮内庁庁舎の前は広いが、その先、道が狭くなるので、一気に大渋滞。
 幸い、高齢の方々よりは背が高いので、手を伸ばして片手でならば写真が撮れないことはなかった。

 江戸城・皇居は武蔵野台地の東端部にあり、坂下門は低地側、出口の乾門は台地側にある。そのため、乾通りは途中から上り坂になっており、出口の乾門付近から振り返ると、次第に坂を上ってきたことが分かる。

#古い建物 千代田区  #階段・坂 千代田区  #城・宮殿  #官公庁 
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善国寺坂

2012-11-07 | 千代田区 
善国寺坂
所在地:千代田区麹町3丁目と4丁目の間   Google Map
Photo 2012.10.17

 半蔵門の某局へ行った帰り、四谷まで新宿通りを歩き、丸ノ内線で新宿へ。

 途中、道の北側にある善国寺坂(奥へ向かって下る坂)を眺める。通りの北側が急に窪んでいるので、写真では坂自体は見えない。低い部分は樹木谷とか、三丁目谷とか言われてるそうだ。

 善国寺は現在は神楽坂の毘沙門天として知られる寺。昔、この坂の途中にあったことから坂名だけが残る。

#階段・坂 千代田区  #ヴィスタ 
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明神女坂

2011-10-23 | 千代田区 
明神女坂?
所在地:千代田区外神田2-7と湯島1-2の間   Google Map
Photo 2011.10.9

 神田明神の東南側にあるくの字に折れ曲がった階段。

 階段下にあった建物が解体され、長らく空き地になっていてあまり良い景色になっていなかったが、北側にコンクリート打ち放しのビルが建ち、南側でも建物の建設が始まっていた。木造建物が建つ以前のような風情はなくなったが、街中らしい感じになってきたのはまだ好感が持てる。

 神田明神には男坂はあるが女坂はない。男坂の北側にあった女坂は、現在は廃道になってしまったといい、HP内の境内図にも女坂は記載されていない。なので、今までは女坂とはせずに、新女坂?としていた。

 ただ、直線的な男坂に対して、くの字型でやや狭く、男坂の南側にひっそりある様子は女坂的で、いくつかのサイトでも明神女坂として扱われたりしている。

「明神女坂」と記された掲示
Photo 2011.10.9

 ところが最近現地を訪れてみたら階段の途中に「明神女坂」の文字が。発注者は千代田区。明神男坂もこの階段も区道だが、区役所内でもこの道は明神女坂と呼ばれているらしい。神社としては公式には認めていないのかもしれないが、周辺の人は既にこの坂を明神女坂として認識しはじめているのかもしれない。

神田明神境内図

東京23区の坂道
   > 千代田区の坂(8)~神田明神方面明神女坂
坂学会のページ全国・坂のプロフィール
   > 東京23区の坂(千代田区)

都市徘徊blog神田明神わきの階段

東京の階段 DB神田明神 新女坂

#階段・坂 千代田区 

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靖国通り 九段坂

2009-02-21 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2009) No.29 千代田区九段北

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2009.1.18(マウスオン

 この場所の景色もかなり変化している。

 中央の交差点は九段下交差点。写真は、靖国神社方面から九段下交差点へ向かって下る九段坂の途中から、神田神保町方面を撮ったもの。

 現存しているのは、右方の千代田区立九段社会教育会館・区営九段住宅(9F・茶色の建物)と、写真中央付近の九段郵便局・官舎(10F)、そして首都高速とその向こう側の角に立つオフィス(ニュー九段ビル・9F)程度。左端の日本債券信用銀行本店ビルも再開発で無くなったため、上記の遠方のビルや首都高速の重なり具合で場所決めをするほかなかった。地下鉄の入口は場所こそ変わっていないが、建屋が化粧直しされたりして、高さや幅が微妙に変化している。

 区立九段社会教育会館は、右端の協和銀行が周囲と共に8Fのビル(現りそな銀行)に建て替えられたため、ほとんど見えなくなった。
 首都高速の向こう側、正面の最も奥に見えるのは、三井住友海上駿河台ビル(神田駿河台3丁目、1984、25F、103.5m、旧 大正海上本社ビル)。84年完成なので、上写真の2、3年後に姿を見せたのだろう。九段坂上からは昭和初期にはニコライ堂が見えていたという。駿河台の高台に聳えるニコライ堂を写した絵はがきもあるが、現在は全く見えない。

 交差点の角付近にはトタン張りで物干し台のある木造家屋が見える。昔はこのような建物が建ち並んでいたのだろうが、この時点で既に残り少なくなっていた。鉄骨や鉄筋コンクリートのビルで埋め尽くされた街並みへと変化する過渡期の様子である。

#東京新旧写真比較 千代田区  #階段・坂 千代田区
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日枝神社

2008-02-06 | 千代田区 

 2/3は朝から雪だったので、段々に雪が積もってストライプ状に見えたりするのではないかと期待してカメラを持って行った。ところが赤坂周辺はお昼頃にはややみぞれ混じりの雪となっており、車道などは水浸しの状態。歩道上もシャーベット状の雪が少し積もっている程度で、真っ白な場所は少なかった。ビル風もあって雪は横殴りに降っているのだが、街中は期待したほどの雪景色にはなっていない。

 ただせっかく雪の日に都心に来ていたので、お昼前にTBSを出た後、近辺の階段巡りをしてみることにする。まず最初に赤坂通りにも近い福吉坂へ行ってみたが、ここはビルとビルの間の道で、また人通りもあるためほとんど積もっていなかった。街中の階段はあまり期待できそうにないなぁとあきらめ、丹後坂に行くのもやめてしまう。

 神社だったら人が少ないかも知れないと日枝神社に行ってみる。ところがこの日は節分で、午前中に節分祭があったらしく、意外にも人出は多かった。また神社の方が一所懸命に雪かきをしてしまっていて、真っ白で人のいない階段などというのはここでも見ることができなかった。半ばあきらめつつ、とりあえずお参りをしに上がってみる。

日枝神社山王橋参道
日枝神社西参道

 日枝神社には全部で6ヶ所の階段がある。本には載せなかったものが3ヶ所。実はそれらもなかなかよい。西参道の階段は101段。上部で山王橋参道の途中に接続し、そこから19段、計120段で山上に至る。昔は木々の間を上る階段だったが、2000年に山王橋参道の整備にあわせて改築されて現在のようになった。赤坂見附方面からの参拝者の多くは、丘の斜面に沿って踊り場を介しながら緩やかに上るこの階段を利用している。

日枝神社、後方はプルデンシャルタワー

 境内にはやはり雪が積もっていた。回廊内からは遠くにいくつかの超高層ビルが雪で霞んで見えている。雪が降ってしまうとそういう景色もなんだか都会的で良い景色に思えてきてしまう。極彩色の社殿と雪のコントラストが美しい。

日枝神社山王男坂

 樹木が覆い被さるようになっているので男坂も雪は大して積もっていなかった。それでもほんの少しの雪で、階段は縞々に見えてちょっときれい。雪深くない風景が逆に東京らしいのかもしれない。

Photo 2008.2.3
#階段・坂 千代田区  #雪  #神社 
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駿河台・甲賀坂

2007-06-24 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.11 千代田区神田駿河台1丁目

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.28(マウスオン

 JR御茶ノ水駅から駿河台下へ向かって坂道を下り、明治大学のリバティタワーの角を東向きに左折すると、淡路町方面へ向かう甲賀坂という下り坂。江戸時代に甲賀者の組屋敷があったと云われ、甲賀町という名だったことに由来するのだそうだ。左側にはYWCAや日大の校舎、遠方にも日大の建物が見えている。

 1981年の写真で中央の煉瓦色の建物は日本大学理工学部1号館で、歴史的な外観を持ったものだったが、残念ながら2001年に解体され、ガラス張りの現代的な建物に建て替えられた。外観の一部だけでも残して中を近代的にする方法はいくらでもあったと思うし、個人的にはその方がかなりかっこいいと思うのだが、日大の関係者にはその気がなかったらしい。

 YWCAも80年代の後半に解体され、現在の建物は1990年に建てられたもの。遠方にあった中央大学もなくなり、超高層の大正海上(右側:現三井住友海上)と新日本証券(左側:現三井住友海上別館)になった。

 左方、YWCAの一つ奥の日大の校舎は、壁面の様子が全く変わってしまったので、よく分からなかったのだが、後から写真を見たら、玄関庇の様子が全く変わっていなかった。装飾的な近代建築というわけではなく、地味なモダン建築であり、とりたててなんということはないのだが、辛うじて残っていたことになぜかホッとする。

 建て替わっていない建物を一つチェックしそびれたことと、以前は歩道がなかったことに気づかなかったため、撮影位置はうまく一致しなかった。

 写真では見えていないが、右側は主婦の友社(御茶の水スクエアB・C館)だった。主婦の友社・御茶の水スクエアは、2002年に日大にこの土地建物を売却。日大は再開発をするため、2004年にB・C館の建物を解体し、現在は駐車場として暫定利用している。

 ちなみにA館は大正14年(1925)に建設されたもので、磯崎新氏のデザインにより増改築が行われた建物。現在は日大の大学院法務研究科として利用されており、カザルスホールも管理は変わったが存続している。

関連サイト
日本大学理工学部一号館の記録
#東京新旧写真比較 千代田区  #階段・坂 千代田区
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皀角坂(さいかち坂)

2007-03-24 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.5

ここは今回の新旧比較では一番苦労した。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.2.24(マウスオン

 皀角坂(さいかち坂)は、御茶ノ水駅前から中央線沿いに西へ行った先にあり、東京デザイナー学院前から水道橋駅方面に下る坂。昔、皀角の木が多くあったため、皀角坂という名になったのだそうだが、この坂の景色も四半世紀でかなり変わっていた。

 左手の建物が現在もあるので、撮影位置の特定は簡単かと思ったのだが、それ以外に基準になるものがあまりなく、微妙な位置取りにはかなり苦労させられた。結局、基準に使ったのは以下の2点。

1.左端の東京デザイナー学院の窓の見え方
2.後楽園黄色いビルの塔屋と左端建物の窓の位置関係

 最終的にはこの2項目を使ったのだが、そうすればよいと分かるまでに時間が掛かり、二回目までは、撮影ポイントがうまく見つからず、結局、現場に三度通うことになってしまった。
 それもこれも、道路・歩道の状態がかなり変わったためである。特に、左側の歩道が拡幅されて、街路樹が植えられたのが、視覚的に大きな変化をもたらし、撮影時に完全に騙されてしまった。あそこまで歩道が大きく変化しているとは思いもよらなかった。

 道の右側も、81年にはバイクがたくさん停められていて、学生がたむろっていたが、今は歩道が作られている。センターラインの引かれ方も変わり、坂の筋が変わってしまったようにも見える。また、右端の樹木は、かなり大きくなったものの現存していた。
 遠景を見ると、右手の樹木の陰には東京ドームホテルがそびえている。また中央にも3棟の高層ビルが後から建った。その周辺、水道橋駅付近の建物群も中高層化が著しい。周囲に大きな建物が建ったため、後楽園黄色いビルの塔(オレンジ色から、緑系の色に塗り替えられた。)は、やや小さくなったようにも見える。

#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区  #階段・坂 千代田区
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駿河台女坂

2006-08-17 | 千代田区 

 西神田方面から神田駿河台へと上る駿河台女坂。Photo 2006.8.9

駿河台女坂
千代田区猿楽町2-4と2-8の間
素材/踏面・蹴上:御影石、手摺:コンクリート・鋼管
規模/高低差14.7m、幅員3.8m、82段、蹴上18cm、踏み面33cm
建設年代/大正末期

 駿河台女坂はキリッとした階段だ。何故そう思うのかと問われても明確な理由は述べられないのだが、来るたびにそういう雰囲気を感じる。少し東には同じく男坂があるのだが、そちらはスキッとしたとか、スパッとしたという印象。あまり違いがないじゃないかと、お思いになるかもしれないが、ちょっと違う。確かに大きな差ではないんですけどね。

 男坂と女坂、神社などではしばしば、直線的に一気に上る男坂と、蛇行して緩やかに上る女坂が造られている。駿河台男坂と女坂は、神社の階段ではないのだが、ここでも一気に上る方を男坂、屈曲する方は女坂と呼ばれている。

 男坂の方が、一直線に階段を上る感じが潔いので、スパッとした印象であるというのは、なんとなく理解して頂けるかと思う。一方の女坂の方は屈折して上るので、どちらかというと柔らかい印象になると、普通は考えるのだが、駿河台女坂の場合、柔和な印象というよりは、女性剣士のような雰囲気が漂っているように思うのだ。なんだか妙なことを書いてるなと思われるかもしれないが・・・。

 CONFORTという雑誌で階段について連載していたときにも、この駿河台女坂はとり上げたことがある(2004年7月号)。その際にも記したのだが、駿河台女坂と隣の男坂は共に、蹴上が18cm、踏み面が33cmであり、実は傾斜が同じなのだ。女坂には途中に二カ所踊り場があるのに対して、男坂には無いという違いはあるが、段々部分の傾斜は同じ。しかも、男坂が73段なのに対して女坂は82段と、女坂の方が9段、段数が多く、全体の高低差も1m以上余計にあるという、妙なことになっている。更に、道幅が男坂より若干狭いため、高低差は視覚的にも強調されているようだ。

 踊り場があるので与しやすいと思って挑んだら、傾斜は男坂と同じで、しかも段数は男坂より多いなんて、なんだかおとこ顔負けの強さを持つ女性剣士みたいじゃないかと思う。

 キリッとした印象は見た目からも来ている。大谷石のような柔らかい石でできた階段は、経年変化で削れて丸くなってしまい、柔らかな印象になるが、ここの階段は比較的硬い石をきっちりと規則正しく並べて造っているので、階段のデザインがとても直線的に感じられる。階段の手摺や縁にも曖昧な部分が少なく、全体に建築的できちんとした形をしている。屈曲した部分も成り行き任せではなく、計画的に屈曲させてあり、傾斜も道幅も一定になっているあたりはとても律儀な印象を与える。

 階段の周辺にやや背の高いビルがいくつか建っていること、屈曲して視線や視野が変化することも、階段を視覚的にも体験的にも、高く感じさせることに寄与している。屈曲して伸び上がるような姿は、下から見上げる人に対して、モデルさんがやや斜めに構えているようにも感じられる。

 そんなわけで、この階段を見ていると、キリッとした階段だなぁと思うのです。結局、あまりうまく説明できてないんだけど・・・。

 でもって、そんなキリッとした駿河台女坂が私は好きです。へへ。

#階段・坂 千代田区
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